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02 October 2016            聲の形とよしながふみ  |  漫画  |  C:0  |
私ほどよしながふみのことを考えている人間もいないと思う。

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この場合の考えているというのは思いやっているとか寝ても覚めても彼女のことばかりとかいう意味ではないないです。彼女の作品を(全部ではない)読むたびにとにかく色々考えるんですよね。作品のことじゃなくて、作者のことを。何でこんなこと書いたんだろうとかそういうことを、変態的なレベルまで考察する。

私の彼女の作品との出会いは、『西洋骨董洋菓子店』でした。その時は純粋に、この人すごいなあと思ったし新鮮だった。女というものはとにかくわかってわかって私の話を聞いてっていう生き物なのですが、彼女はそれに対して「わかるよ」ってアプローチをするんですよね。女漫画の場合それは往々にして「共感」なのですが、彼女の場合は「理解」なんですよ。そういう立ち位置で読者に向かうことのできる余裕というかな、そういうのがすごいと思いました。作品として他の女漫画よりステージが高い感じ。

そして固有のテーマがあって、好きだもんとか仲間でしょとか大事な人がいるからとか、そんな女漫画らしいあってないような結論に逃げないでちゃんとオチをつけるし、それぞれの立場の人の視点もリアルで、すべてが丁度いいさじ加減。完成度が高いなあと感服したものです。

でもな、何作か読むと作者本人の本当の立ち位置や本音がわかってくるわけ。それは私が考えなくていいことまで考えて読むからなんだけど。つまり自分が悪いんですけど。

で、気づいたわけ。この人中流以下の生い立ちの人間のことは作品のリアリティづけやドラマティックさの演出に使ってるだけなんだわって。1回ならというか、『西洋骨董洋菓子店』ではそういうとこもむしろ上手いなあと思ったけど、何回もになるとイライラしてくるわけ中流以下の家庭で育った自分としては!

結構キツい家庭のことにも触れといて、それでも作中でメインの辛いこととして扱われるのが「自分の個性を近しい人間に理解されないこと」ってのがね、もうね。へ〜〜、私らのどうにもならなかった家庭環境なんかあんたらの高尚な悩みのスパイスですか、へ〜〜っていうね。

というわけで1年くらい普通の(多分)よしながふみアンチをしていた私ですが、最近さらによしながふみ論を前進させたのでした。

よしながふみという人が自分と同等の中流家庭の女に向けて漫画を描いているのはほぼ間違いないのですが、だからといってそれ以下の家庭の人間をスパイス扱いしているのではないのです。ああ自分(とそれに準ずる人間)て不幸…ってことを描いてるのではありません。よしながふみの作品は、自分より大変な悩みや問題を抱えている人はたくさんいて、寧ろ自分は報われている方だけど、それでも自分はそんな些細な悩みをどうしても解決できないんだ、という視点で描かれているんですよ(多分)。

そりゃそうだわ。下を見ればいくらでも自分より大変な人はいるけど、自分にとっての一番の悩みは自分のことだわ。

何というか、この人にしかない客観性ってあるよね。そういうとこがやっぱりすごいわ。

というところまで考えてよしながふみの漫画読んでる奴、他にいるならかかってこいや!


『聲の形』と1ミリもかすってないように見えるでしょうが、つまり自分と違う個人を理解するには、この精神的ストーカーとも言えるほどの気持ちで当たらないとできないんじゃないかってことを、『聲の形』の感想を読んで思ったってことです。
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